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洲埼(すのさき)〔は、日本海軍の給油船〔/運送艦〔(給油艦〔)。同型艦はない。艦名は千葉県房総半島南西端にある岬の名(現在は洲崎と表記)、東京湾の入口に当たる〔#日本海軍艦船名考p.213〕。艦名は後に洲埼型給油艦1番艦に引き継がれた〔#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.587-588〕。 == 概要 == 1915年(大正4年)度計画の「志自岐」に続いて1916年(大正5年)度の八四艦隊計画により横須賀工廠で建造された。「志自岐」より艦型を拡大して石油搭載量を7割増し、また艦隊随伴が可能なよう速力を14ノットに向上させている〔#日本海軍特務艦船史p.14〕。1917年(大正6年)1月13日に製造の訓令が出され〔、4月4日「洲埼」と命名〔、11月29日起工〔、翌1918年(大正7年)6月22日進水〔、9月26日に竣工した〔。 本船は汽船「洲埼丸」として〔#T8公文備考20/汽船洲崎丸登録抹消に関する件画像13-16、大正7年登記嘱託書〕大阪商船に運行を委任〔#T7公文備考20/特務艦製造画像48-50、大正7年9月26日発布 官房第3333号〕、貸与され〔、10月1日に本船を引き渡した〔#T7公文備考20/特務艦製造画像58『大正七年十月一日午後一時?分横鎮局發 午後二時二十分海軍局着 發信者 横須賀鎮守府長官 受信者 大臣 (平文)電報譯 洲埼丸本日大阪商船株式會社代理人ヘ引渡ヲ了ス (了)』〕。当時はまだ第一次世界大戦が終結しておらず、対外上の配慮として他国領域での軍艦の行動が憂慮されたためである〔『聯合艦隊軍艦銘銘伝』では北米からの石油輸入の際のアメリカ政府の取り扱いが憂慮されたから、また『世界の艦船』では当時は第一次世界大戦中で、中立だった蘭印からの石油輸送に使用するため、とある。〕。大戦の終結した翌1933年(昭和8年)9月20日に特務船に復帰〔#T8公文備考20/汽船洲崎丸登録抹消に関する件画像9-10、大正8年9月22日附『登記嘱託書 一 船舶ノ表示 汽船洲埼丸 總噸数 四千七百九拾五噸〇六 登簿噸数 弐千参百参拾五噸六四 船籍先 横濱市 一 登記ノ原因其日附 大正八年九月弐拾日海軍特務船籍ニ編入 一 登記ノ目的 登記簿抹消 (以下略)』〕、本船は9月27日に大阪商船から引き渡しを受けた〔#T7公文備考20/特務艦製造画像56『横鎮第一七六四號ノ二 大正八年九月二九日 横須賀鎮守府司令長官 名和又六郎 海軍大臣 加藤友三郎殿 貴船受領ノ件 一、汽船洲埼 壱隻 右本月二十七日大阪商船株式會社ヨリ受授ヲ了シ候條 右報告ス』〕。 1920年(大正9年)4月1日に特務艦艇類別標準が制定され〔#海軍制度沿革巻八p.57、大正9年4月1日附達第39号〕、本船は特務艦に編入され、運送艦となった〔。 本船(本艦)の任務は、竣工後の第1回目の輸送は土崎から横須賀への重油輸送だった〔#T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像2、洲埼丸第一回行動豫定ノ件〕が、1,809トン搭載〔#T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像4-7、洲埼丸第一回輸送状況報告〕で中止し横須賀ヘ帰港〔#T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像9、『十月廿四日午後〇時卅分 横須賀鎮守府参謀長宛 電報(暗号) 洲埼丸土埼ニ於ケル重油搭載ヲ中止シ横須賀ニ帰港ノ上ボルネオ行準備ヲナサシメラレタシ(以下略)』〕、「志自岐」に続いてボルネオ島からの重油輸送の任に就いた〔#T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像12、洲埼丸外航第一回輸送状況報告〕。以降1937年(昭和12年)まで一貫してアメリカやボルネオからの石油輸送であった〔。また1938年(昭和13年)には中国方面にで活動する艦隊への給油活動を行っている〔。1940年(昭和15年)4月1日に除籍、「廃艦第14号」と仮称された〔。艦を改修し再就役することが検討されたが、予算の問題で断念され、1942年(昭和17年)に解体された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洲埼 (給油艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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